歩いていても気付きがある ~一人の時間の大切さ~

SPトーク

自分との対話というと「瞑想」を浮かべますが、日常の中でも自然とやっている気がします。何かしら考えていたつもりでも、ふと何も考えていなかった・・と気づくことないですか。リラックスしながら無心に体を動かすことも同じです。となると、「ふと浮かんだこと」を味わってみる方がよさそうですね。


昔から、一人でいることが多くってね。中学・高校の時には一人でいるために、わざわざ遠回りして違う駅から帰ることもよくあった。

遠くの学校だったわよね。同じ方向の友達と一緒に帰らないの?

うん、ずっと考え続けているのに会話が邪魔でね。徒歩25分の最寄駅じゃなくて1時間くらいかけて別の路線の駅に向かうんだ。部活もしてなかったし、クラスの中でもあまり口きいていない気がする。

ふーん、男子校ってそんな感じなのかな?周囲と比べて変わってたと思う?

まぁ多少は(笑)。気が向けばだけど、天気がよい日はよく歩いたね。よく読んでいた小説の影響を強く受けて、主人公ならどうするだろう、自分ならどうするか・・とかずっと自問自答していた。

瞑想みたいね。ほら、座ってやるヤツだけが瞑想じゃないっていうじゃない。でも考え続けてるなら瞑想じゃないかもしれないけど。

散歩のような単調なリズムを繰り返すパターンは思考の影響を弱めるかもしれないね。部屋のふき掃除をしていて何かひらめいたという話は複数の人から聞いたことがあるよ。無心に磨いていたら、フッと浮かんでくるんだって。ふと気づいたらぴったりのメッセージを手にしていたと。

「悟り」みたいなやつ?

その「悟り」という言葉から連想するのは、もっと劇的な心境の転換だと思う。もっとライトなメッセージというか「ヒント」じゃないかな。悟りを求めるときは、限界まで体を酷使する修行というスタイルもあれば、ひたすら単調作業を繰り返す場合もある。お経を唱え続けたり、川の流れに耳を傾けたり。

ふーん、現代じゃ実践するのは容易じゃなさそうね。

もともと大多数の人が求めるものじゃないからね。でもライトなメッセージなら、自分の時間が持てれば受け取れると思うよ。瞑想って「考えちゃいけない」「思考を手放せ」とはいうけれど、動いているときにも無心になっている瞬間って必ずあるからね。思考し続けていても、やはり何も考えていない瞬間は確かにある。

一人で静かにしているだけじゃなくて、動いてもいいのね。

静かな朝の時間、一人で散歩するのもいい。座ってやる瞑想は苦手なんだけど「お散歩瞑想」なら得意という友人がいる。やはり自分との対話には散歩は向いているのかもしれない。哲学で散歩しながら話すというスタイルの学派もあるくらいだから。アリストテレスだったかな。

そんな昔からなの!

うん。たぶん人としては精神的に大きな変化していないんじゃないかな。技術の発展とかは比べるべくもないけれど、精神的な習熟度はそう変わらない。「今の若いモンは・・」という文字が3000年以上前の粘土板に刻まれていたって話もあるよ。

そうなんだ。たとえ今大きな悩みがあったとしても、昔から大きく変わっていないのかもって思ったら、なんか元気になれそう!