価値について考える
存在することの価値を感じるとき
いるだけでも価値がある・・という感覚。
・子どもが生まれた時に
・子どもが幼いころに
これを感じた方も多いと思います。
「そこにいてくれる幸せ」
存在自体がいとおしく感じられるのは
あまりに可愛いからなのでしょうか。
自分の子どもに限りません。
電車でお母さんに抱かれた赤ちゃんと目が
合ったとき。
不思議そうに見つめるその子に
ちょっとだけ笑いかけてみると更に目をみはる。
このやり取りだけでこころが解放されるのを
感じます。
若いころはなんとなく気恥ずかしくて
こういう表現をしたことはなかったのですが。
理性で考えて「保護すべき存在だから」と
いとおしく感じるわけではないと思うのです。
反射的に、本能的にそう感じている!
自分だって価値があった
一方、自分に置き換えて考えてみます。
突然世に出現したわけではありません。
詳細は記憶にないとしても。
自分にもそんな時期が確かにあった。
愛情を注がれたのではないですか?
大事に思われたのではないですか?
私の場合だと・・。
不器用だった父が手を握って歩いてくれた
手のひらの感触だとか
大好きだったスイカを母が自分のお皿から
分けてくれて歓声をあげたこととか
こんな記憶が呼び起されます。
写真のように証拠立てるようなものは
特にありません。
おぼろげな記憶にしか残っていないけど
それが間違いないことは知っています。
確かに愛情を注がれたのです。
自分を見直すと他人にも優しくなる
かくいう私も、そしてあなたも数十年を
生きてきました。
たぶん一通りは、いろんなことがわかった
つもりにもなっている。
でも、この感覚
「自分には愛情を注がれる価値がある」
どの程度思い出していますか。
ここからは2つの感覚が派生してきます。
一つは、自分はかけがえのない存在である
ということ
・いるだけで価値がある
何かをするから/しないから価値がある
・・のではないということです。
もう一つは自分以外の存在も同じだということ。
・何もしなくても価値がある
・いるだけで価値がある
何かをするから/しないということとは
関係ありません。
優劣を比べることの意味
それぞれに比較をし、優劣を競うのは
あくまで方便なのだと思います。
能力を磨くには切磋琢磨も必要でしょう。
比較することは、確かにわかりやすい指標に
なるからです。
しかし、それと各人の価値とは別物。
それぞれに成長の目的がある。
それぞれに固有の価値もある。
自分もかつて愛された。
今でも愛されているのだろう・・。
だったら他人も同じです。
自分と見解が違ったり、異なる行動パターン
をとったとしても。
自分の価値を下げることはない。
相手の価値を下げることもない。
ふさわしいことをふさわしいタイミングで
経験しているなら、もうそれで十分!
価値を知ると行動が変わる
ライフコーチとしても、その視点でお客様と
お話しています。
こうするのがいい・・と結論をつけることは
ありません。(というよりできないのです)
「本当の自分を知る」というのは難しいこと
かもしれません。
でも価値を感じてみることは不可能じゃない。
そうしたら、その価値にふさわしい行動を
したいという気持ちにもなるんじゃないかな。
行動を始めるとまず気分が変わります。
自己表現を始めると、あなたの周囲の世界も
変わり始めますよ。
最後までお読みいただきありがとうございます。